『巨神兵東京に現る』
二次元美少女キャラを指して、「あんなさあ、目の大きい女、実際にいたらきもちわるいよね」という人がいる。この人はある意味で正しい。一方で、そういうキャラをかわいいと思う人がいる。この人ももちろん正しい。彼らを隔てるものは何か。それは、回路の存在だ。
よくある目の大きな人間の絵を見たとき、回路をもたない人は、それを、目が異常に大きな人間だと、見たままの存在なのだと認識する。回路をもつ人は違う。 回路をもつ人は、大きな目をそのまま受けとめるのではなく、かわいいという特徴として受けとめる。それはただの形容詞でしかない。
これはもちろん二次元美少女キャラに限った話ではない。絵にかぎった話でもない。言葉でも、文化でも、ありえるだろう。ぼくらが文字を文字と認識しているのも、それを理解するための回路が存在しているからだ。
東京都現代美術館で開催されている、『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』に行った。そこで、『巨神兵東京に現わる』という短編特撮映画を観た。私には生々しく感じられて恐ろしかったのだけど、人によってはこういう感想をもつだろうと容易に想像できた。
「なにこれ、明らかにつくりものじゃん。なんでこんなのが怖いの?」
私は、あの映像に恐怖を覚える回路が自分にあったことを、幸せに思う。