『自殺サークル』
《自分》と《自分を監視する自分》
最近、周りの人間を見て、行動があってキャラクタが生まれるのではなく、先になりたいキャラクタがあって、そのキャラクタにそった行動をとっているのではないかと、そんなことを思った。自分ですらメタ視してしまっているのではないか。
自分をメタ視することは、自分が、《自分》と《自分を監視する自分》に分かれることを意味する。
《自分を監視する自分》は《自分》を監視して思う。「おまえはこういう人間だ」だけど《自分》はそうではないかもしれない。なぜなら《自分》は日々変化する。このとき《自分》と《自分を監視する自分》の間にズレが生じる。ズレが生じることは、《自分》にとっても《自分を監視する自分》にとっても、よいことではない。
《自分》は思う。「おれはこんな人間じゃないのに」
《自分を監視する自分》は思う。「おまえはそんな人間じゃないのに」
《自分》は窮屈さを感じ、《自分を監視する自分》は歯がゆさを感じる。
お互いに不満をもつ。
お互いに苦しくなってしまう。
『自殺サークル』
『自殺サークル』という映画がある。
『自殺サークル』はその中で何度も問いかける。
「あなたはあなたの関係者ですか?」
これは《自分》と《自分を監視する自分》が理解しあえているか、という問いだ。
あなたはあなた自身に耳を傾け、本当にあなたらしくあれているだろうか。
もしあなたが、あなたと関係できていないならば、それは不幸だ。
あなたは、あなたの存在を確認すべきである。
耳を傾けるべきなのだ。
あなたがあなたと関係できたとき、はじめてあなたは、あなたらしく生きることができるのだから。
『紀子の食卓』
ただ、実際のところ『自殺サークル』では、集団自殺という突飛さだけが目を引き、「あなたとあなたの関係」についてわかりやすくない。この「あなたとあなたの関係」に改めてフォーカスをあてたのが、続編にあたる『紀子の食卓』である。
吹石一恵や吉高由里子も出演しているこの映画では、前作『自殺サークル』の集団自殺の真相に迫りながら、「あなたとあなたの関係」について描いていく。そして、さらに一歩先。「あなたとあなたが関係することは幸福だが、誰もがありのままのあなたと関係できるわけではない」ということも描かれている。
シャンパンとグラス。
ウサギとライオン。
この比喩の意味は、『紀子の食卓』を観れば明らかになる。
『自殺サークル 完全版』
『紀子の食卓』には、原作となる小説が存在している。『自殺サークル』、『紀子の食卓』の園子温監督自身が書き下ろしているのだが、タイトルが『自殺サークル 完全版』という(笑)。ちょっと混乱してしまうが、内容はこれ以上ないほどにわかりやすいため、物語世界の理解のためには必読である。