Cure, Love, Compass, Understand

映画、音楽、フットボール。長い文章を書く練習。

『ドッペルゲンガー』

ドッペルゲンガー [DVD]

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 黒沢清の『ドッペルゲンガー』を観た。観る前は心配だった。『CURE』とか、『回路』とか、『叫』とか観て、すごく好きで。だからホラーじゃない黒沢清ってどうなんだ?  面白いのか? 面白くなかったらどうしよう? 本当はおまえのこと、好きじゃなかったんだって、気づいてしまったらどうしようって。だけど、まったくの杞憂だった。

 物語はシンプルだ。人工人体という、意思で動かすロボットを研究する男が主人公。研究に行き詰った主人公の前に、ドッペルゲンガーが現れる。ドッペルゲンガーは主人公のストレスを取り除く。研究に協力し、調査したり、資金を集めたりする。そして研究は成功するのだけど、という物語。

 主人公とドッペルゲンガーは正反対だ。主人公は気難しく、悩みがちで、研究に真面目だ。ドッペルゲンガーは気さくで、大雑把だ。研究とかどうでもいい。「金と女がほしい」とのたまう。だけどドッペルゲンガーはこうも言う。「俺は俺の中にいるおまえを認めている」そしてこう続ける。「おまえもおまえの中にいる俺を認めろ」そうなのだ。ふたりは同じ人間で、たまたま分かれてしまっただけ。だけって言っていいものかわからないけれど、あの世界のルールでは、それだけなんだ。

 主人公は、「研究が成功すればそれでいい。金と女? そんなものいらない」って言うんだけれど、そりゃ研究のほうが好きかもしれないんだけど、金と女だってほしい。だから研究が成功したとき、ドッペルゲンガーに「金と女は俺がもらう。おまえはいらないんだろう?」って言われたとき、ちょっと「え?」ってなる。「とられたくない! それ、俺もほしい!」ってなる。たぶん。あれは、そういう感じだった。だから殺してしまう。そしてひとつになる。

 主人公がドッペルゲンガーを殺すことは、自分の中にいるドッペルゲンガーを認めることに他ならない。なぜなら、誰かを殺してまで自分の好きなようにするのは、主人公ではなくドッペルゲンガーの領分だから。それを主人公がするってことは、主人公がドッペルゲンガーになったということだ。主人公はドッペルゲンガーを殺すことで、ドッペルゲンガーとひとつになったのだ。後半のロードムービーはそれを受け入れるための期間というか、軟着陸というか、そういう話だろう。主人公は旅をしているあいだ、主人公よりになったり、ドッペルゲンガーよりになったりを繰り返しながら、研究に区切りをつけることで、完全な存在となる。

 と、そういう風に解釈したんだけど、もうひとつ可能性がある。つまり最後に笑って去っていったのは、主人公じゃなくてドッペルゲンガーなんじゃないかってこと。ドッペルゲンガーは実は死んでなかった。女を迎えにいったのは、ドッペルゲンガーだった。だって最終的に研究は海に沈むし、女と金を手にして去っていくし。

 本当の主人公は旅の途中、助手に車で轢かれたまま、死んでしまったんじゃないか。もしくは今でも地べたに這いつくばっているのかもしれない。そう考えると、哀れな末路すぎて、ちょっとゾッとしてしまう。